日本海軍による真珠湾攻撃で雷撃を受けるアメリカ海軍戦艦(1941年)日本海軍による真珠湾攻撃で雷撃を受けるアメリカ海軍戦艦(1941年)日本海軍は、真珠湾を起点にするアメリカ太平洋艦隊をほぼ壊滅させたものの、第2次攻撃隊を送らず、オアフ島の燃料タンクや港湾設備の破壊を徹底的に行わなかったことや、全てのアメリカ海軍の航空母艦が真珠湾外に出ており、航空母艦とその艦載機を1隻も破壊できなかったことが後の戦況に大きな影響を及ぼすことになる。なお、1939年9月のドイツとソビエト連邦によるポーランドへの攻撃は完全に宣戦布告が行なわれかったにも関わらず、このように喧伝されることはなかった。

真珠湾攻撃に向かう零式艦上戦闘機真珠湾攻撃に向かう零式艦上戦闘機その後、12月8日に同日行なわれたタイ国国境に近いイギリス領マレー半島のコタバルへの陸軍部隊の上陸と、日本海軍によって行なわれたハワイ・真珠湾のアメリカ海軍太平洋艦隊に対する真珠湾攻撃、二日後のイギリス海軍艦隊に対するマレー沖海戦などの連合軍に対する戦いで日本海軍は大勝利を収めた。なお、これらの作戦は、これに先立つ11月6日に、海軍軍令部総長の永野修身と同じく陸軍参謀総長の杉山元により上奏された対連合軍軍事作戦である「海軍作戦計画ノ大要」の内容にほぼ沿った形で行われた。

11月26日にアメリカのコーデル・ハル国務長官から来栖三郎特命全権大使、野村吉三郎駐アメリカ大使に手渡されたハル・ノートの内容を受け、日米間の交渉は完全に決裂し、12月1日に行われた御前会議において、事実上軍部に牛耳られていた日本政府はイギリスやアメリカ、オランダなどの連合国に対するの開戦を決意した。なお、日本政府がハル・ノートの内容に憤慨し、野村吉三郎大使に対してアメリカ政府との交渉の打ち切りを通告していたことを、アメリカ政府は暗号解読によって知っていたといわれている。